2010年9月10日金曜日

2010年9月8日水曜日

歩く、見る、写す・・・北の宝物探し・・・函館編①

140年の時を越えて今ここに甦る・・・日本最初の開港地のひとつ函館で、幕末の北辺警備と対外折衝重責を担った函館奉行所」。 日本初の様式城郭・函館奉行所が五稜郭に有りました。広壮な旧建物は函館戦争終結の2年後、明治4年(1841年)に解体されています。それから140年、4年間の工期、最高の技術を駆使し往時の姿に今年(2010年)復元されたばかりです。早朝から見物客が溢れ、人が途切れず建物のみの写真撮影は半日がかり・・・苦労の末の1枚です。        
 ※函館山砲台跡(御殿山第二砲台跡) 函館山は夜景で有名ですが、一方軍事要塞としての機能を持っていました。日清戦争以後、日本はロシアを仮想敵国として各地に軍事要塞を建設、函館には5カ所の砲台が設置されてます。頂上・ロープウエー駅より少し下がった御殿山駐車場の奥に「御殿山第二砲台」がありました。ここには6問の砲台と弾薬庫の跡が残ってます。
※高田屋嘉平衛像

歩く、見る、写す・・・北の宝物探し・・・伊達市編①

伊達市北黄金町の「上坂台地」茶呑場台地〉またがり縄文時代の遺跡群が在りました。「北黄金貝塚」・・・約30万㎡におよぶ縄文時代の早期(約7000年前)から中期頃(約4500年前)の遺跡群です。5つの貝塚と住居跡、多数の縄文人の人骨、石器、土器、骨角器などが発掘されてます。特に、儀式の場となっていた水場遺構は北海道随一、縄文時代の人々の生活がわかる貴重なものだそうです。 縄文人が作ったり使っていた物を施設・北黄金貝塚公園内の情報センターに展示され学ぶ事が出来ます。

歩く、見る、写す・・・北の宝物探し・・・白老町編

山と川など自然の地形を巧みに利用した「白老元陣屋跡」広さは66,000㎡で堀と土塁と四つの堀に囲まれた陣屋の跡地。安政3年(1856)蝦夷地の防備を固めるため仙台藩が築いたものです。仙台藩守備範囲は、白老から襟裳岬を経て国後・択捉までの東蝦夷といわる広域であったため、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・国後・択捉に出張陣屋を築いた。元陣屋には常時120名ほどの人が駐屯して警備に 当たったようです。慶応四年(1868)に勃発した戉辰戦争により、藩士達は撤収し使命を終えた。それにしても広い・・・・敷地入口前には資料 館がありましたが早朝・開館前でしたのでチョット残念・・・・。







歩く、見る、写す・・・北の宝物探し・・・南茅部編

豊かな自然に育まれた縄文の里・南茅部町・・・「国指定史跡大船遺跡」 。この地域は資源豊富な海と山に囲まれ、数多くの小河川などに恵まれ縄文の人々が生活し文化を発展させる上で絶好の環境で縄文時代早期から晩期に至るまでの約七千年間、長期にわたり連綿と縄文文化が栄えた場所だとか・・・・国内最大級の国宝「土偶・中空土偶」が発掘され話題になりました。遺跡の特徴は、住居の規模が極めて大きい事と、集落の密度が非常に高い事。此処では竪穴住居、竪穴住居跡、盛土遺構等から発掘された数多くの土器や石器が見られます。